28歳でSMクラブオーナーになって儲けました。(まっつんの風俗時代 第2章)

TikTok Lite紹介キャンペーン

最終更新日 2022.6.21

前回の記事では、ぼくが風俗業をやっていたことをカミングアウトしたわけですが、やっぱりみんなこういうの好きなんですね。アクセス伸びてます。
(関連記事:実はデリヘルなどの風俗店を10年ほど経営してました。(まっつんの風俗時代 第1章)

身近なところで言えば「警察24時」とか、安定の人気がありそうですもんね。ぼくも「悪徳違法風俗の摘発の瞬間!」とかやってたら見ますもん(笑)

ちなみにぼくが携わった風俗は全て合法の優良店ですので誤解のないように。。

いいから早く続きを書け。と言われそうなので、さっそく追憶をはじめましょうかねー




もくじ




新境地を目指してSMの世界へ ~挑戦編~

無事に、広告事業で抱えた1200万ほどの借金を払い終えたぼくらに、共同経営を続ける理由はもうどこにもなく、離散してそれぞれやりたいように店を運営することになりました。

仲間同士で競合する同じ地域で営業する気にはならなかったので、一人は佐賀でそのまま店を引き継ぎ、もう一人は別の地域へ、そしてぼくは自分の意志で福岡で店をオープンすることに決めました。

なぜSMクラブだったのか?

別にぼくがSM愛好家で趣味と実益を兼ねたわけではありません(笑)

簡単に言うと、当時ネットで知り合って親しくなったSMクラブ経営者がすごく儲かっていて、箱ヘルスとデリヘルしか経験したことのないぼくにとっては、何とも興味深い世界だったんです。

まっつん(猿ver)サムネイル
絶対、SMへの興味もあったでしょ(笑)

まぁSMに興味があったかどうかはともかく、知らない世界を覗いてみたいという気持ちが強かったんだと思います。昔からそういう性分でしたから。

結局、その知り合いのSMクラブへしばらくお邪魔させてもらい、SMクラブののイロハを学んでオープン準備に入りました。

仲間とやっていた佐賀の店のHPの制作の際は、業者とやりとりをしている中で歯痒いことが多かったので、SMクラブのHPは独学で自分で制作しました。

これが後にwebの事業を始めることになったきっかけにもなっています。

このオープン準備をしている時期はホントに楽しかった。

ぼくはこだわりが強いタイプで、それまでの仲間との共同経営では自分の中で我慢や妥協をすることが多く、最後の方は本当に苦痛でした。

それがすべて自分のやりたいようにやれるようになったわけですから、物件探し、HPページ制作、マニュアル作成、すべてが楽しくて仕方がなかったです。

いずれにしても、たった一人でこの未知なるSMというジャンルの商売への挑戦を通じて、事業家としての進化を問われることになりました。




いつのまにかすっかり変態になっていた ~覚醒編~

オープンに向けて、SMクラブの運営を学ぶうちに、次第にぼくもSMの世界に魅了されていきました。

ここでディープな話をするつもりはありませんが、きっかけだけ話しておくと、それは「〇縛」でした。みなさんは〇縛ってわかりますか?

※このブログの広告基準でNGになるので伏せてます。

まっつん(猿ver)サムネイル
縄で縛るアレです(笑)

みんながよく聞くのだと「亀〇縛り」とか。実際は色々あるんですが。

〇縛の魅力は色々あって、もちろん本来の目的は拘束することなんですが、作品作りのような楽しさがあって、縛っていく工程から、完成したその姿を眺めることまで全てが楽しかったです。

アウトドアで実践するロープワークでキレイかつ確実に結べたときも、廃品回収で古紙を紐でぎっちぎちに縛れた時も、ぼくからしたら〇縛と同じ感覚です。おかしいかな…

SMクラブ時代の道具は全て処分しましたが、唯一〇縛用の麻縄だけは使うあてもないのになんとなく捨てずにとってあります。そのぐらいぼくにとっては特別でした。

それと、SMの世界では〇縛がうまいとチヤホヤされるんです。

そもそも見よう見まねでは簡単にできませんし、見栄えのする縛り方をすれば、「おー!」ってなるじゃないですか。だから、縛ってみたいと思っている側と縛られてみたい側からの両方から羨望の眼差しを向けられるわけです。

ぼくの場合はそんな打算はありませんでしたが、好きになって自然と上達し、結果的にそういう立場になってました。

オープンしてからの話ですが、店とは別に個人的に〇縛サークルを主催してたぐらいですから(笑)

こうしてオープンする頃にはすっかり変態の一員となり、マニアによるマニアためのこだわりのSMクラブが完成したのです。




SMクラブを皮切りにヒットを連発 ~拡大編~

無事にオープンしたSMクラブは、当初は女性が集まらず苦戦しましたが、女性が集まり出してからは破竹の勢いで瞬く間に人気店となりました。

コンセプトや営業スタイルなどぼくの狙いが見事に当たったとはいえ、その勢いは想定の域を遥かに超えていました。

しかも、真面目で優秀なスタッフにも恵まれ、オープンして1年後にはぼくは現場を全て任せても安定した売り上げが上がる状態になってました。

30歳を目前にして、初めて一国一城の主人となったのです。

しかし、その頃のぼくは前しか見ておらず、築いた城を守ることよりも、上がった収益で事業を拡大していくことだけを考えて、次なる事業を進めていきます。

もっと儲けたいという気持ちもありましたが、とにかく楽しかったんです。

経済的に豊かになることよりも、それまでに失った自信を取り戻せたことや、周りの人間や社会から認められていくことの方が、ぼくにとっては遥かに大きかったから。

その後、王道系のデリヘル、アロマ系のデリヘルをオープンし、さらにはweb制作会社、リラクゼーションサロンなど、多方面にも手を伸ばしていきました。

驚くことに、SMクラブのオープンからここまでにかかった期間は、なんとたったの3年です。

しかし、信じられないかもしれませんが、それほど苦労はしてません。同じように事業を拡大していった経験がある人ならわかると思いますが、調子がいいときに事業を拡大するのは、お金さえあれば簡単なんです。

それにしても、よくやったよなと思います。やろうと思ってももう同じことはできないですね。肉体的にも精神的にも。

ちなみに稼いだお金は全て新しい事業への初期投資に回していたので、当然その頃になっても蓄えもなければ、大した贅沢はしてませんでした。唯一、無駄遣いをしたとすれば、600万ぐらいの輸入車を一台新車で購入したぐらいでしょうか。それもフルローンで。。

この頃には全ての事業所の従業員は合計で20名以上になっていて、業種はともかく中小企業といえるレベルの事業規模になっていました。




ヒットを飛ばし続けることができなかった ~停滞編~

基本的に、事業で成功することをそれほど難しいことではないとぼくは思ってます。

いいアイデアがあったり、平凡なサービスや商品であっても、人より飛び抜けて努力ができれば、割と簡単に売り上げなんて上がるものなので。

しかし、それを継続することが本当に難しい。アイディアは出し続けることや、努力を継続するのは凡人にはできません。

ぼくの場合は、凡人なのに事業を拡げすぎたお陰ですべてが中途半端になりました。

もうね、やらなきゃいけないことが多すぎて、一つのことに全く集中できない。結果、何に対しても成果が上がらないんです。

本来は、事業を展開していったら、それに応じて自分がやっていたことをそれぞれの長がやらないと、創業者はやることが増えるだけなので、当然ながら手が回らなくなります。

そうならないために、人材の採用や育成が必要になるわけですが、ぼくの場合は採用して業務を教えただけで育成してなかったんです。ていうか、ハイペースで一気に展開していたので、そんな時間があるわけないですよね。

人は経験なしで育ちません。逆に経験がなくても努力とセンスでやれちゃう人だったら、最初から自分で事業を起こします。

他にも全国展開をしているYESという大手風俗グループの店長をヘッドハンティングしたりもしましたけど、残念ながら頭が固い人で、デリヘルという業態に対応できなくて全然ダメでした。高条件で引き抜いたので、お金ばっかり出ていって失敗になりました。

とにかくぼくには事業家としての資質はなかったんです。

ラーメン屋で例えるなら、頑固おやじのこだわりのラーメンを提供するタイプの店が向いていて、チェーン展開するようなラーメン屋は向いてないってとです。

そうして、すべての事業の売り上げが頭打ちになり、そこから徐々に売り上げが下がっていき、その後の3年ぐらいは資金繰りに苦慮する時代になりました。




追い打ちをかけて国税局の捜査が襲い掛かった ~国税編~

まぁそのまんまです(笑)

ある日、税務調査が入ったんです。通常の税務調査は管轄の税務署が来るんですが、うちは無申告(=脱税になります)だったので国税局の捜索(いわゆるガサ入れ)が来ました。

国税って言うと、査察部(通称マルサ)が有名ですが、うちの場合は査察部ではなく、資料調査課(通称リョウチョウ)でした。一般的には査察部の方が悪質で大型の脱税事案を扱い、そこまでの事案ではない場合は資料調査課になるらしいです。(事実かどうかはわかりません。)

まぁいずれにしても、会計に関することをすべて調べたうえで、脱税した分にペナルティーをつけて払ってもらいますよ。ってことに変わりはありません。

何の予告もなく、ある日の朝、事業所3か所と自宅と計4か所に一斉に捜査員が押しかけてきたわけです。

まっつん(猿ver)サムネイル
リアル警察24時w

捜査員の群れを見たときは、脳内で何かが音を立てて崩れていく感じがしました。

別に綿密な計画をして脱税していたわけでもなく、税務の知識なども全くない状態で、「こんな感じでいっか♪」といった感じで適当に申告していたので、追徴課税がどのぐらいとか想像できませんでしたが、とにかく「あー終わった。」と思ったのを憶えています。

幸いにも逮捕などはされず、もちろん起訴もされていません。つまり刑事事件にはなっていないんです。そこまでの脱税ではなかったということですね。脱税額が1億ぐらいが刑事事件になるかの境目らしいです。ぼくの場合は3000万弱でした。

捜索は2日間ぐらいで終わりましたが、そこから持ち帰った資料を調査して、追徴課税の金額が決定するまでに2か月ほどあって、その間にちょこちょこ国税からぼくの携帯に電話は入るし、追徴課税はどのぐらいになるのか気になるしで、まるで重罪を犯して判決を待っているかのような気分でした。

ぼくは完全にやる気を失くしました。

儲かっている状況ならまだしも、その頃は家賃さえも滞納しているような経営状態だったので払えるわけがない。仮に奇跡的なV字回復を遂げたとしても、利益の全ては税金でもっていかれる。更には利息で税金は減らないという税金あり地獄。

徴収担当の人間はこう言いました。

まっつんさん、税金は破産しても消えないんですよ。払うしかないんです。お子さんに負債を残したくないでしょう?

闇金をやっていた頃の自分に詰められる罰ゲームを与えられているかのように思えました。

補足しておくと、今はもうその滞納分の税金は全てなくなってます。

この国税の話も結構オモロイので、そのうち記事にしてみたいなあと思います。(自宅のテレビが差し押さえで持っていかれた話とかw)




経営から退き、サポートとして関わり続けた ~顧問編~

当時、店長だった人間に店を譲ってぼくは経営から経営から退きました。

潤沢な利益が出る状態なら、その店長に経営権を売って、それで滞納分に充てるということもできたのですが、既に利益が出ておらず、その兆しもなかったので、実質タダで店を譲ってます。

ちなみに経営から退いたのは、やる気を失くしたとかそんなことではなく、まともに納付ができないという状況である以上は、それしか選択肢はありません。

なぜなら、売り上げが上がっても利益は全て税金に持っていかれるので、それに貢献した従業員の給料を上げることもできませんし、利益がなくても売り上げがある以上、消費税や住民税などは課税されますし、滞納している税金には利息がかかりますので、一括で払えるだけの資力がない限りは、もうどうしたって再起はありえないんです。

税金の利息は16%って知ってますか?

3000万の税金を滞納したら、利息だけで年間480万になります。

まっつん(猿ver)サムネイル
サラ金かよ(笑)

まぁ「お前はもう死ね」と言われたのと同じことですね。(事業者として)

全部、自業自得なので仕方ないんですけど、一つだけ念を押しておくと、ぼくは設けたお金で豪遊したりはしてません。次の事業に投資していっただけです。そしてその投資した事業で大きな損失を出しています。つまり同じ事業体の中でおこなっていれば、相殺されて利益はほとんど出てなかったんです。

言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、ぼくのようにお金に強欲というわけでもなく、よくわからないまま税金を払ってない人って実は結構多いと思うんです。それをどうしたら解決できるのかは、ぼくにはわからないので、偉い人に考えてもらうしかないですけどね。

まぁ結果的に自分が勉強不足だったことは否めませんし、脱税した事実は変わりませんので、誰も責めることはできませんね。

その後は、国税が入ってから約7年間、昨年までwebを中心に店舗の運営全般をサポートする立場で自分の店にずっと関わっていました。

突発な要因で一時的に売り上げが増えることはありましたが、その間に根本的に財務が改善されたことは一度もありませんでした。

それでも人件費や広告費などを必要最低限にとどめることで、なんとか営業を継続することができたという感じです。

ぼくはこれらの仕事の経験や、山やアウトドアに没頭していく中で、人生における価値観が徐々に変わり、新しい人生を歩むためにも早く風俗とは決別して、新たな環境に身を置きたいとずっと考えていました。

そして、昨年2018年にwebの方で従業員がいなくなったことや、風俗の方も別の人がサポートしてくれるということになり、無事にさよならすることができて、仕事の拠点を那珂川に移した次第です。




なぜ風俗経営の過去を記事にしようと思ったのか

第1章の冒頭でも書きましたけど、あんまり普通は周りにそういう人もいないだろうから、面白いかなと思ったからというのが単純な理由です。

それに加えて、ぼくはこのブログを通じて、自分をたくさんの人に知ってもらい、ぼくやぼくがやっていることに興味をもってもらうことが重要なので、自分を語る上で欠かすことのできない、この風俗業に関わった時代のことをきちんと書いておきたいなーと思ったのです。

でも、ブログで書くってことは、まっつんが風俗をやっていたってことを読んだ人には確実に知られるわけで、ぼくブログで顔出しも多少はしてますし、そもそも周りの人にブログをやっていることは言ってます。

つまり、リアルの知り合いの中でそれを知らなかった人たちに知られることになります。そして、これから出会う人たちの中にもブログを読んでこの事実を知ることになる人はいると思います。

ぼくは親しい人以外にはwebの仕事のことしか話してこなかったので、ブログで公開することに戸惑いもありましたが、この歳(41歳)になって、もうそういう建前みたいなものがどうでもよくなってきたんです。他人が自分のことをどう思うかはどうでもいいってことです。

もちろん親しい人に話して態度が変わったら悲しいけど、それでもその人とはその程度の関係だったと割り切りますよ。

ぼくは表面上のことにばかり捉われて、本質が見えない人が嫌いです。

ぼくがどういう人間なのかをきちんと知りもしないで、風俗をやっていたかどうかだけで判断するような人なら、そんな人とはどっちにしても親しくなりえないんです。

20代や30代の頃と比べれば、交友関係などもかなり狭まってきています。心から付き合いたいと思える人と付き合っていければそれでいいと思うようになって、人付き合いに対して我慢をしなくなったからです。

これからもきっと極端に拡がることはないと思います。

だから、包み隠さず自分をさらけ出したぼくを知ってもらうことは自然だし、理にかなっているので躊躇う必要はない。という結論になりました。

まぁこんな風に語ってますが、実際はぼくが気にしている以上に、周りの人間はぼくが風俗していたかどうかなんてどうでもいいと思ってりするんでしょうけどね。そんなもんです。

それでもドキドキしするんですって(笑)

カミングアウトすると気持ちがいいですよ!この機会もみなさんも何かカミングアウトしてみてはどうですか!?




以上で、2本立てでお届けした「ぼくが風俗の仕事をしていた話」は終わりです。

本当はもっと面白い話たくさんあるんですけどねー

やっぱりここでは書けん(笑)