新卒で整備士として入社したトヨタを1年でサクッと辞めた話。

もう20年も前の話になりますが、ぼくはトヨタ自動車が100%出資する子会社(直営)のディーラーに整備士として就職しました。

高校、専門学校ではろくに勉強もせずに遊び尽くしたぼくが、整備士とは言え、天下のトヨタに就職できたのは運が良かったなと思うし、何よりも親はすごく喜んでくれていたと思います。

しかし、1年も持たずに辞めてしまったんです。

もし、今もトヨタで働いていたとしたら、一体どんな人生を送っていたのだろうか。安定とひきかえに思考を停止させられる人生。。

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想像しただけでもぞっとする..

最近は「転職はキャリアアップ」みたいな時代になってますが、当時は終身雇用の名残りがまだあって、堪え性がなくて何事も続かない自分を責めたこともありましたが、さっさと辞めて本当によかったと思ってます。

しかし、辞めたよかったと思えるのは今だからこそだし、「転職はキャリアアップ」なんて言えるのは「求人市場で優位」な一部の優秀な人だけで、実際にせっかく就職して会社を辞めることに躊躇いを持っている若者はたくさんいることでしょう。

「そんな人たちの参考になれば」という想いも込めて、当時を振り返りながら、辞めるに至った経緯や、辞めて良かったと思える理由などを書いてみたいと思います。

ちなみに、「精神的にもう耐えられない!」という切羽詰まった状態の人は、鬱になったりする前に、以下のような「退職サービス」とかでサクッと辞めてしまいましょう。

それと、貯金などがない方は辞めてから慌てたりしないように、先に転職サイトなどに登録して、スムーズに次の仕事に就けるように段取りしておきましょう。








そもそも高校生が一生の仕事なんて決められない

これ、ほんとにそう思います。

ぼくが整備士になった経緯はこんな感じ。

もともとは航空整備士(なんとなく)になりたくて早稲田の理工学部に行こうと思っていた。

高校で完全に脱線して遊びほうけた結果、大学進学するレベルの成績ではなくなる。

他にやりたいこともなかったし、早く働きたかったので大学進学は却下。

当時流行っていたドラマ「若者のすべて」に整備士役で出演していた萩原聖人の姿に憧れる。

高校時代にバイクが好きで乗り回していた。

これは整備士しかない!と思う。

二輪の整備士免許がとれる希少な専門学校に行くことを決める。

という大した理由でもないわけです。

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まーそんなもんだよね。

専門学校って専門的な分野の職業につくことが前提なので、専門学校に進学するってことは、その時点で卒業後の仕事を決めるということになります。

高校卒業後の進路って2年生~3年生で決めますよね?

ぼくは小学生の頃は「サッカー選手になりたい!」と本気で思ってました。

それがたったの5年ぐらいで、その後に何十年も働く職業を決めましょう。なんてそりゃ無理でしょーよ。社会に出たこともないのに。

それでもね、よくわかってないから大した志もないのに「俺は整備士として生きていくんだ。」みたいな感じでその気になっちゃうんです。ピュアだから。

でも結局、そんなものは思い込みだし、人生の1/3も生きてない若者がその先の人生を決めることなんて不可能なんです。

だから逆に言うと、

新卒で就職した会社 = 一生勤めることはない会社

そう思った方がいいです。




希望に満ち溢れたスタート

ぼくが就職したのはトヨタと言っても、メーカー(トヨタ自動車)ではなく、ただのディーラー(販売会社)です。

ただ、よくある地場の企業が経営しているディーラーとは違って、トヨタ自動車が100%出資するいわゆるメーカー直営のディーラーでした。

他のディーラーと給料などは大差ないけど、メーカーが親会社なんで潰れることはまずないし、何よりも「うちはトヨタの直営だから」という自負が当時はありました。

そんな中、ぼくはその年に100人以上いる新卒者を対象に行われた最初の実力判定試験のようなもので二位になりました。

それは「出世」という明るい未来を妄想するには充分すぎる材料でした。

しかし、整備士免許って専門学校に行けば誰でもとれるので、頭の悪い(基礎学力が低い)人が圧倒的に多いんです。

要するに、下を見ていい気になっていたわけです。

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痛い、痛すぎるぜ..(笑)

そして、本社ビルに併設する営業店(いわゆる本店)に勤務になり、それはそれは希望に溢れるスタートでした。




現場に入って3ヶ月後には毎日が憂鬱だった

新人研修を終えて、無事本店に配属されたぼくに待っていたのは、容赦ない現場の現実でした。




きつい、汚い、危険、まぁ見事な3Kだったw

典型的な3Kでしたね。

学生時代にオートバックスの整備部門やガソリンスタンドなど、似たようなアルバイトの仕事をしたことがありましたが、それらと比較しても環境は著しく悪かったです。

きつい
ただでさえ整備士は重労働です。力を使う作業はもちろん、それを無理な体勢で行ったり。
それと工場の中でたくさんの車のエンジンをかけるので、室温は相当上がるし、スチームを使うので湿気も半端じゃありません。
汚い
もうね、これはイメージ通り。まさにオイルまみれ。爪はもちろん指紋にもオイルが入り込んで3連休でもなければ手は綺麗になることはありません。ぼくは肌が弱いので工業用石鹸で手がボロボロになりました。
危険
事故も耐えません。車両に潰されて死んだとか、エンジンに指が持ってかれたとか。ぼくの現場ではありませんでしたが、よく聞かされてました。

まあバイト経験や、趣味でバイクや車をいじっていたので、3Kはまだ想定の範囲内でした。

一番驚いたのは、これを誰も善処しようとしていないこと。

自分の仕事をこなすことに精一杯で、環境を良くしようなんて考える余裕は誰にもないんです。ミーティングでは数字のことしか話しませんしね。愚の骨頂です。




新人をケアする文化がまるでない

専門学校なんて基本的には就職するのに必要な資格取るためだけの学校なんで(少なくとも当事者の生徒はそう捉えている)、即戦力になれるような能力は一切身に付きません。

つまり新人は完全に素人と一緒です。

それなのにも関わらず、研修後にはすぐに整備しろと言われます。

分からなければ聞けばいいと言えば確かにそうですが、忙しくて工場内を走り回っている先輩を、新人が呼び止めて質問をするなんてできるわけがない。

勇気を出して聞いても、何度も嫌な顔をされれば、そのうち聞く気も失せていきます。

先輩は自分たちが新人のときに確実に同じ経験をしているのに、手を差し伸べようとはしません。もちろんそれを横目に見ながら心を痛めている先輩もいるんでしょうけど、やっぱりそれをケアする余裕はない。完全に負の連鎖です。




工場内は常にリーダーの怒号が鳴り響く

当時、ぼくらの入社と同じタイミングで異動してきた社員の方が現場の長になって、部下からすごい信頼させれている人だと聞かされていたんですが、その人がまた凄かったんです。

一言でいうと「ザ体育会系ゴリラ」みたいな感じw

赴任してきたその日から「うぉらー!てめーら働けー!」と雄叫びを上げてました。

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漫画みたいな話だけどマジw

普段は明るく面白い人でムードメーカー的な存在なのに、現場に出るといつもイライラして怒鳴り散らしてました。

そのせいで常に現場の空気は悪くて、リラックスできるような時間は皆無。現場で仕事していることがストレス以外のなにものでもありませんでした。




こうして、入社3か月目あたりからは毎朝「はぁ仕事行きたくないなー」と憂う日々が続きました。




未来に希望もなかった

どれだけ嫌な毎日が続いても、目標や明るい未来があれば、誰だって頑張って耐えることができます。

でも、そんなものはどこにもありませんでした。




先輩は誰ひとり21時前に帰る人がいない。

19時頃になると、仕事がまだ終わってなくても「もう帰れ!」と言われて帰らされました。

翌朝に納期が迫ったものが片付いてない場合は、2年次の先輩が必ずその分を残業して片付けます。

つまり、入社1年目は残業させないというルールがあって、2年次になったとたんに残業が当たり前になります。

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意味不明なルール(笑)

一年次をすぐに辞めさせないための短絡的なルールだったのだと思いますが、今考えても意味不明です。

まぁでもこの一年の間に思考が停止して、この環境に流されていく人が多いのも事実ということでしょう。。

毎朝のミーティングではいつも数字が足りないと工場長は言っているのに、整備士は21時前に帰る人は1人もいないという状況。

なんじゃそりゃ?って当時は思いましたが、結局は会社が社員の労働力を搾取していたってだけの話です。




憧れるような上司が一人もいない

整備士はある程度の実務経験を積んだ後に、検査員(車検の検査をする人)という資格を取得することを目指すのが一般的です。

しかし、その検査員である上司を見ても、「この人みたいになりたい」と思える人が一人もいませんでした。

職場環境が悪さが一番の原因だと思いますが、みんないつも疲れていて、ため息や愚痴ばっかりで、憧れるどころか自分も将来こうなるのかと思って落胆したものです。

唯一、一時憧れの存在になりかけたのが「ラボ」という部署で、ラボでは工場で手に負えない故障やトラブルを専門に扱ってて、社内では整備士の最高峰と言える部署でした。

しかし、ラボの方に直接話を聞ける機会があって「結局はサラリーマンなんだな。」って思ってしまったんです。




もちろん給料は大して上がらない。

具体的な数字は憶えていませんが、初任給は額面で18万ぐらいでした。

当時は今のようにネットで何でも調べられる時代ではなかったので、将来の給料がどうなっていくかは当人たちに聞くしか手段がなく、片っ端から聞いてみたんです。

それでわかったことは、年次昇給は毎年あるが、おそらくどれだけ順調に昇格して工場長まで上り詰めたとしても、額面年収で500~600万ぐらいということでした。

その頃にはもう50代です。

汗と油にまみれて、怒号が鳴り響くオールストレスの現場で耐えながら、30年も働き続けて年収500~600万。

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絶望したのよね。。

何がメーカー直営だってね。




図ったように同じことを言う先輩たちを見て決意した。

それでも、専門学校まで親に行かせてもらって簡単に辞めるという決断ではなかなかできないもので、気が付けばぼくもあと数ヶ月で入社から1年が経とうとしていました。

早く辞めたいという気持ちで頭の中が埋め尽くされたぼくは、ある日の休憩室で2年次の先輩にこう質問しました。

「先輩はずっとこの仕事を続けるつもりなんですか?」

先輩の答えはこうです。「いやーそれはないわ。」

そしてぼくは続けました。「そしたらいつまで続けるんですか?」

先輩も答えました。「せいぜいあと1~2年かな。」

あーやっぱり先輩もそう思ってるんだ。と思ってなにかホッとしたのを憶えています。

そして後日、、

ぼくは3年次の先輩に同じことを聞きました。

返ってきた答えは先日の先輩と同じ。

その時も、あーやっぱりみんなそう思ってるんだ。ぐらいに思ってました。

さらに後日、、

今度は4年次の先輩にも同じことを聞きました。

なんとまた同じ答えが返ってきたんです。

正直、意外でした。

なぜなら、最初はみんなそう思っていても長く働いているうちに、どこかで「骨を埋める覚悟」をしているんだろうなと思っていたからです。

そして、ぼくは図らずも気づいてしまったんです。。

先輩たちは辞めよう辞めようと思って、ずるずると働き続けているのではないか?

ぼくは決めました。

もし、あの先輩に聞いてみて、同じことを言ったらもう辞めよう。

その先輩は、家庭があって一番そう言いそうにないタイプの人。

数日後、、

ぼくは体育会系ゴリラに辞表を提出しました。

ゴリラは「もう少しよく考えろ。とりあえずこれは俺が預かっておく。」と言いました。

しかしその数日後にぼくは、本店勤務では絶対に許されない「金髪」にして出社したら、ぼくの決意は伝わったようで辞表は無事に受理されましたw

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正確にはグリーンの入った金髪だったねw

そこまでの勇気がない人や、頑張っても辞めさせてもらえない職場なら、退職代行サービスを利用して、さっさと肩の荷をおろしてしまいましょう。




まとめ

結論からいうと、早期にやめて本当によかったと思ってます。

あの会社で働くことで得られるものは一つもなかったので、長くいればその分時間を無駄にしていただったと思います。

何よりもトヨタという大企業の傘下にあったあの会社で、時代遅れのサラリーマン体質が1mmも体に刻まれなかったことが大きいです。

正直に言えば、これまでぼくはお金に苦労した時期がたくさんあったので、ふと「あのままトヨタで働いていたらこんな苦労しなかったかもな。」と思うこともありました。

しかし、もし整備士を続けていたら、その安定と引き換えに、大企業に労働力を搾取されながら、「平凡が一番」なんて自分に言い聞かせながら、「あの先輩たち」のように、窮屈な箱の中で一生暮らしていくことになっていたはずです。

もし若いあなたがその会社で働き続けることに迷っているなら、その職場に「憧れる先輩」や「目標にできる先輩」がいないのなら、、

そんな会社はさっさとやめてしまえ!

なんか、話の着地点がおかしくなった気がしますが、人生でぼくが唯一まとも?な企業で働き、1年で辞めた話でした。

辞める時は、なるべく良い転職先を見つけてからにしないと、焦って転職に失敗することが多いので、まずは転職サービスに登録して、より良い転職ができるように準備を進めておきましょう。




ちなみに、ぼくはトヨタを辞めてら奇想天外な道を歩むことになりました。興味がある方はプロフィールを覗いてみてください♪
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