こどもの可能性や底力をいつでも信じられる親になりたい。

子育てって難しいですよね。

子供がやることにどこまで口や手を出すべきか、嫌がるけど必要なことはどうやらせるべきかなど、日頃から悩みはつきません。

先日家族で山に行ったときにぼくが娘にとった態度を振り返り、後悔しているというか、すごく考えてしまったので書き留めておこうと思います。

それほど役に立つことは書いていませんが、子連れ登山をしている方や、同じように悩む人に読んでもらえたら嬉しく思います。




自分の感情に左右され、娘ができないと決めつけてしまった。

糸島の十坊山に登ったのですが、ぼくは忙しかったことと、難易度が低い山であることを知っていたので下調べを怠りました。

その結果、当日はコースタイムが80分のところを50分と勘違いしたままスタートすることに。

まっつん(猿ver)サムネイル
林道から登山道に変わる地点から50分だったのを勘違い..

また、前日ぼくは仕事が片付かず就寝が遅くなったので、当初予定していたより1時間半も遅いスタートになってしまい、そのせいもあって想定以上に日差しが強く、序盤の林道で暑さに消耗させられました。

そんな中、まだ全体の1~2割という段階で「疲れた。歩けない。」を連呼する娘。

これはよくあることなのだけど、大してまだ歩いてもいない状況で、こうやって駄々をこねられるとどうしてもイライラしてしまう。。ましてや時間が遅れてのスタートなので焦りもあり、、

娘が4月から幼稚園に行くようになってからは山に連れて行く機会がめっきり減っていて、今回も2ヶ月ぶりの登山だったので、ぼくは「娘は体力が落ちている」からこういう状態になっていると決めつけて、吐き捨てるように妻にこう言いました。

あーもう今日はずっとこんな感じやろ。
全然連れて行ってなかったから体力落ちてダメやね。

ぼくは山に入ったら、娘にも少しでも楽しんでもらいたいと思う反面、心身を鍛えたいという気持ちもあるので、つい厳しくあたりがちですが、「頑張れ!」というのと「ダメやね。」と突き放すのは全然違うわけで、明らかに娘を見捨てるような言葉を発してしまったのです。

これを娘が聞いていたかはわかりませんが、そう決めつけた自分も最低だし、決めつけられた娘には本当に申し訳ない気持ちです。

しかし、我が家の場合はそういうときはいつも妻が娘に寄り添ってフォローしてくれます。今回もそうでした。これにはホント感謝してます。

それでも娘は妻に「疲れた」「抱っこして」と駄々をこね続けていました。




子供は自分が頑張れることを知らない。

今回は中村登山口からで尾根道をずっと登るルートだったんですが、登山道に入るまでの林道歩きが30分ぐらいあって、日差しを遮る木々も少ないし、アスファルトの上は暑いので、結果的にそこが一番のネックでした。

登山道に入ってからの娘は、サコッシュに詰めたお菓子を楽しみしながら頑張ってくれました。さっきまでもう歩けないと言っていたのに。。

とは言っても嘘をついたわけでもなくて、きっとその時はきつくて嫌になって「もう無理」だと思ったんでしょうね。

ぼくら大人はこれまでの経験から、「どのぐらいなら歩ける」とか「きつくても頑張ればこれが待っている」とか「あの時の辛さを思えばこのぐらいは」といったように感情をコントロールしながら辛さを乗り越えることができるけど、子供はそういった術を何も持ってません。

だから、親は子供に自分が頑張れることを教えてあげるべきなんですよね。

大丈夫、君はもっと頑張れるってね。




子供の成長や底力は親が思っている以上

中村登山口からの尾根ルートはだらだらと上りが続き、最後の最後で急登が現れます。

ぼくは常に、行程が何割ぐらいかを口にしていたのですが、残り1/3ぐらいのあたりで娘が妻に言いました。

ママ、先に行って!

決して、ゆっくり歩きたいから言ったわけではありません。

残り1/3、つまりまだ残りが結構あるという状況で、自分が今きつくなってきていて、更にこれから大変になることを察知して、その上でママが先に行ったほうが頑張れると考えたのだと思います。

  • ママがいるとつい甘えてしまう。
  • ママに追いつきたい気持ちで頑張れる。
  • パパには泣き言を言えない。

こんなことを考えて、自分なりの選択をしたのでしょう。

まっつん(猿ver)サムネイル
正直、後からこれに気づいたときは泣きそうになったよw

頑張るために一緒にいたいはずの大好きなママを先に行かせるなんて。。自分に試練を課しているわけですからねえ。

「子供は親が思っているほど子供じゃない。」なんて言葉がありますが、親が気づかない間にどんどん成長しています。

そして、最後の急登を目前にして、ぼくは「さすがにこれは休憩しながらゆっくりいくしかないな。」と思っていたら、、

ぐんぐん登る娘。

結局、休憩どころかペースを落とすことなく、「ママ、上にいるかな?」を繰り返しながら、山頂までそのまま登りつめたのでした。

ぼくら大人なら2ヶ月も間をあければ体力や筋力は落ちて、2ヶ月ぶりの登山は以前よりきつく感じますが、娘は以前よりも体力も脚力も増しているようでした。

幼稚園や普段ともだちと遊んでいるだけでも、それなりの運動にはなっているでしょうし、それ以上に育ち盛りの彼女は身体的にどんどん成長しているんでしょうね。子供の成長は大人と同じものさしでは測れないものです。

娘の成長とともに、自分の衰えを感じた瞬間もありました。でも嬉しかった。

そして、君の成長や底力を信じていなかったこと、ごめんなさい。




親が子供を信じてあげないと自己肯定感は育たない

自己肯定感という言葉は近頃よく耳にするようになった気がします。

簡単に言えば、「自分やその存在そのものを認めてあげられる心」のことですね。

ぼくは自己肯定感が低いタイプの人間です。おそらくですがその原因もわかっています。

小さい頃からぼくはサッカーをしてました。器用なので下手ではなかったのですが、足が遅かったのと本番に弱いタイプでレギュラーには定着しませんでした。

ある日、試合中にレギュラーの子が怪我をして、交代で出場することになったんです。

そして得点こそはできなかったものの、自分なりに良いプレイができて、ぼくはすごく満たされた気持ちになりました。

その夜、ぼくは嬉しくて父に言いました。「今日ね、○○が怪我をして、試合に出たんだよ!」

ぼくは父が「それでどうだった?活躍できたか?」と返してくると思ってましたが、予想外の言葉が返ってきました。

それでどうだった?どうせダメだったんだろ?

ぼくはとてつもないショックを受けました。でも納得したんです。

あ、そうか、そもそもぼくは期待されてなかったんだ。って。

このことがぼくの人格にどう影響したかは一概に言えませんし、父も悪気はなかったと思います。もちろん父のことを恨んでもいませんし、父のことは尊敬しています。

でも、ぼくが根本的に自己肯定感が低くなったきっかけの一つではあることは間違いないと思います。今でも鮮明に覚えているぐらいショックだったわけですしね。

ちなみに、その後のぼくは高校生ぐらいから非行を繰り返しましたが、それでもぼくを信じ続けてくれた母のおかげで、今こうして人の親になれたと思ってます。




自己肯定感の必要性はわからないけど、子供は肯定してあげたい。

自己肯定感って、コンプレックスとも似ているように思います。

ぼくはくせ毛(天然パーマ)とアトピーで子供の頃にバカにされたりしていたので、コンプレックスが強い人間でもあります。

しかし、ぼくは自己肯定感の低さもコンプレックスも強さも、いわゆる生きる糧になってきたと感じています。

自分に自信がないことが頑張ることのモチベーションになったのだと理解しています。いわゆる何クソ根性ですかね。バカにしたやつを見返してやる。みたいな。

まっつん(猿ver)サムネイル
成功者みたいなこと言ってる。ってツッコミはなしねw

だから、一概に自己肯定感が高いことで幸せになれるとは思っていません。ぼくの周りの尊敬できる成功者でも同じようにコンプレックスの塊みたいな人いますしね。

ただ、自分も含め、そういう人は他人のことも信じることができない人が多いように思います。だからやっぱり、我が子のことは認めてあげたいし、可能性を信じてあげたい。

ぼくのように自分で自分のことを卑下するような人間にもなってほしくないですしね。




我が子を信じる行為に担保はいらない

人は誰かを信じるか信じないかという分岐点で、その人の実績を見ることが多いと思います。つまり根拠なく人を信じるってなかなかできないことですよね。

見ず知らずの人を信じろってすごく難しい話です。

同じように、我が子とは言え、何の実績もなければ、目の前でできないと泣き喚く子供を前に信じることも簡単ではないのかもしれません。

でも、それ以上に子供は自分のことをもっと信じることができません。そんな子供を親が信じてあげなければ、一体誰がその子を信じてあげるのでしょうか。

赤ちゃんの頃は誰もが無償の愛を注ぎますが、自我が現れてからは無償で信じることが大切なのかもしれません。